「スタンダードな方法」追記

 私が、彼が、するべきことは何かってことだ。先に書いた「スタンダードな方法」に関する別記です。すみません、更新に慣れていないので、リンク貼る方法わかってません。少し前の記事の分析に関するやり取りの詳細です。

 こちらに来て、作業の流れを繰り返し説明するにつけ、英語の分厚い本を持ってきて(注1)、私が言っていることはここに書いてあるんだ、というと「本がでかすぎる。内容も多すぎる。実際に作業をしたらそれを全部写真にとってマニュアルをつくってくれ」と同僚に言われました。もちろんだ。それは必要だ。そうしてどうやら、これまでここにいた某日本のボランティアの方々はそれをすごく丁寧にしてくれていたらしい。それは確かにすばらしいことである。ただ必要なのは、流れ作業ができることではない。どうしてこの作業をしているのか、今やっていることはこの先の測定結果のどこに関係するのか。メカニズムを知っていてやってもらわにゃー意味がないんだ。ないんだよ!ということを力説。

 マニュアルどおりにやって、結果がうまくいかなかったとき、どこに問題があるのかを判断するには、すべての過程の意味を知らないとだめだろう。楽をしようとおもうなー!とか言ってるけど、べつに彼らも楽をしようとはおもってない。たしかに簡単な方法を知りたがりはするけど、スタンダードな方法を知るべき、という話にはすごく納得してくれました。そもそもGC/MSが使えていないのだって、オペレーションを教わる仕組みがなかったからなんだ。あんな高価な機械、設置しただけで動くわけないのに。こっちの人だってそんなことみんなわかっているよ。「使い方は一応教わったんだけど、そもそもこれは何に使うんだ?」ときかれる装置も多い。自己満足をしている人間がどれだけいるのかな・・・(注2)。
 ラボスタッフもみんな、特にGC/MSがマニュアルだけでどうにかなるもんではないとわかっている。だから、先のわたしの力説を聞いた同僚は、がんばるよー、と日本語で言っていた(注3)。あ、一応力説は英語でしましたよ。日本語の返事が返ってきたあたり、私の説明に相当力が入っていたに違いない。

注1 英語の説明をサボろうと持ち込んだ洋書の数々・・・というか私にも必要な本。でも私だってこの量を英語で読むのはいやだよ。こっちの人だって英語は母国語じゃないものね。
注2 責任の所在をどうこういいたい話ではないですが、高価な装置は日本の援助で入ったものでは有りません。日本でなら一応この手のことは教育トレーニングを合わせてするんではないかなあ。
注3 同僚はその某日本の団体の関連で日本に研修にいったことがあり、日本語の単語を5つくらい使います。おはよー、わたしのなまえは○○ともします、こんにちは、ありがと、がんばるよー。がんばるだけが何か異色・・・。というか某日本の団体のネームバリューはすごいです。私は関係ないのですよ、と説明しても、きょとん、とされます。日本人はみんなそこから来ると思われている。