怒るということの意味

金曜日の午後なのに、同僚が2時に帰ってきた! ← 感動の敷居が低い(注1)。

 給料の安い公務員は副業を持っていることが大概で、まあ、そうでなければ家がとても裕福でステータスのために仕事をしているとか?だから金曜日の午後ともなれば12時に昼に帰ってしまったら、午後には誰も来なくてもおかしくない、のに、今日はラボの若者が2人、2時過ぎには帰ってきて実験室で仕事をしている。ということに感動したため、冒頭の文章です。
ちなみに私の面倒を見てくれている同僚は、帰ったら戻ってくるのが面倒になったらしく、でも3時半過ぎに電話がきた。誰かいるか?というので「若者が2人いるよ」と言ったら、「トラブルはないか?」という。「ないよ」というと、「そりゃあよかった、じゃあまた来週!だってあっついんだもの、はっはっはー!」と電話を切られた。
電話をしてきてくれた気遣いに感謝するべきか、そのラジカルさにあきれるべきかわからない。

 さて、この国にいて腹を立てることがまずありません。いや、昔はあったのかも。旅行者として1週間くらい滞在していた学生時代、とか、それなりに怒っていることがあったような気がします。この間も、私が旅してたころと同じくらいの年頃の日本人女子が、0.05ドルの価格表示の間違いに腹を立てていた。いいぞー、やれやれー!そういう怒りは若者ならではだー(注2)。

 私が、海外旅行で腹を立てなくなっていることに気がついたのはおととしくらいのことだったけど、たとえば去年のカンボジアでのこと、3連休があったのでプノンペンから海辺の町に遊びに出た。シアヌークビルではありません、ケップです。渋いでしょ。バスで4,5時間で着くはずなのに、ケップから50km手前でバスが壊れた。30分ほど現場で修理を試みていたが直らなかった。乗客はみんな降りて、ドライバーと車掌はローにしかギアの入らないのろのろバスで消えてしまった。さてここから、次のバスを何もない田舎でぽけーっとまつ。とおり沿い、民家のおじさんが、わらわら勝手に家に入ってきて写真を撮ってる観光客相手にいすを出してくれる。親切だなあ、おじさん・・・勝手に家に入ってきて牛だの子供だの写真を取りまくっている失礼な観光客相手に。次のバスが30分でくる、と車掌はいったが、そんな簡単にばれるうそをつくんじゃない!絶対2時間後だろう、とおもってたら3時間後でした。炎天下の田舎町で3時間待ちぼうけ。涼しい乾季の時期だったからよかったけど、今なら簡単に死ねそうだ。
 まあ、そんなことがあっても、腹は立たないのです(注3)。だって怒ってもしかたないんだ。バスはどうせこないんだ。欧米人旅行者もおなじ。怒ってないし、彼らはどこにいてもビールを発見する能力の持ち主なので、3時間の間に酒盛りしてた。ちなみに来たバスには人がてんこ盛り乗っているわけで、後から乗ったわれわれは、その居場所は通路です。わたしは2人がけに座っていたカンボジア人女子が席を3人がけに詰めてくれたのでそこに乗りました。ありがとう。

 で、その旅から日本に帰ってきてのこと、成田空港で迎えに手配していたタクシーを待っていたら、すぐ行きます、という電話での返事から、20分待っても来ない。相当頭にきてました。ついたドライバーに文句言っちゃった。たった20分ですよ。でも日本だったら、怒ればどうにかなる、とわかっているから腹が立つ。意味がある相手だから怒る。そして怒った自分に凹む(注4)。
とらえようはいろいろですが、わたしは自分が怒らなくてすむこの国が大好きです。

注1 職業柄かもしれませんが、少しのことで、すごいよ!といいます。ちなみに更新日が金曜でないのは時系列は記事によってばらばらだからです。
注2 細かいことを気にしなくなった、というのは、なんか少し感覚が鈍くなっているのかな、と寂しくなることが有ります。若い女の子たちは細かいことに一喜一憂していて、そういうのはとてもよいことですよ。と思います。
注3 画像は壊れたバスと観光客、それからバスが壊れた場所。確かにバスが壊れるのはこまるけども、こんな場所でこわれたらなあ・・・。暑いけど、だってきれい過ぎるでしょ。こんなところで腹を立てていたら、もったいないでしょ。
注4 怒るのっていやな作業ですよね。でも怒られるのは当然もっとイヤですよね。あのときのドライバーさん、ごめんなさい。最後降りるときにも謝ってくれてごめんなさい。乗ってから降りるまで、4時間もの間、申し訳ない、と思っていてくれて、ほんとごめんなさい。