地図で博物館作っちゃう国民性

最近気がついた。日本人は地図が好きだ、たぶん。つくばに住んでいたときに国土地理院が近くにあったのでよく遊びにいったが、無料で入れるのにすごい充実ぶりでまるっきり博物館(注1)。親子連れにも人気だし、企画展も面白いし、売店に売っている地図の数たるや、何でこんなに?と思うような量。とにかく地図で自分がどこにいるのかを把握していたい、というのがもしかしたら国民性なんじゃないか。
観光客は当然地図も載っているガイドブックを持っていると思うけど、欧米人のロンリープラネットのように、日本人なら某歩き方、ほか、日本人が持っているガイドブックって情報量に対する地図の比率が非常にでかくないか。その地図が正確に出来ているもんだから(注2)、余計ちゃんと地図を見る。

カンボジアでカンボジア人の参加するツアーに行くと、行った先の観光地のガイド的なものは何も配布されません。地図も配布されません。自分が今どこにいるのか、言葉がわからなんだらまるっきりわかりません。日本でツアー旅行をしたことが無いのでツアーの事情はわからないけど、たとえば日本ではホテルのロビーに、ビジネスホテルでも必ずホテルからの地図で回りに何があるのか、簡単な紹介ってある気がする。市町村単位で、場合によってはホテルの人の手作りで、街のどこに何があるか、観光地図、道路地図、鉄道地図、地形図・・・最後のはちょっと違うかもだけど、とにかくありとあらゆる地図、あれだけ提供されているってことは、それだけその情報がほしいと思う人が多いってことじゃないのか。
たとえば観光地のパンフレット、そこで何が見れるかのほかに、どうやってくればいいのか、アクセスの情報が必ず小さい地図で入っているのが日本の。その場所の案内だけに全力で下手するとどこにあるのかわからない(住所のみ)なのがこっち。ホテルのロビーに、地図自体をみないし、そこに用意されたパンフレットそれぞれにも地図情報ってあんまり無い。

だから、なじみが無いから、地図見せたってどこに行けばいいのかわからないドライバーはたくさんいます。道は知ってるけどそもそも地図なんか見ないから見せられたってわからないよ、というわけ。みんな当然のように地図は誰もが使うものと思うらしいですが、地図の読み方は教わるものだからな。観光客が地図を取り出して、ここ!と説明しても、ドライバーが見ているのは道じゃない。その近くにある目印になる何か、です。だから地図は英語かクメール語のを見せた方が、日本語のがいくら正確でも、手っ取り早い。
そしてこちらでは地図より、数字が通じれば、その通りまでいける、言葉が通じれば近くの目印までいける、太陽で方角がわかれば東西南北を把握できる、と言う方法でモトを使いこなせるのでとりあえず私は太陽を読みます。言葉覚えるより早い、通り名覚えるより地図を頭に書いたほうが楽。そして出かけるのは朝と夕方が楽。昼は太陽ずっと頭の上だから。

ただ、わたしも日本人なので地図大好きです。頭の中に地図をおき、今どこを走っている、今こっちに曲がった・・・という脳内ナビ再生、知らない街では楽しい。プノンペンの地図、はじめに来たときには本屋とか市場で一生懸命探して買いました。今と比べるともう、ぜんぜん違います。急激な発展と開発につれて、地図がどんどん変化していく。地図の数も増えました。また、新しい地図を買いに行こう。

注1 実際名前は「地図と測量の博物館」仕事がら測量の部分の展示はかなりおもしろい。現場見学(学校行事の研修旅行)とかでついでに行けばいいのでは・・・?でもつくばのど真ん中で現地解散は結構過酷かも(現場見学は現地解散が基本)。わたしは大阪万博記念公園で解散したことがありますよ。
注2 記載の情報が、というより、道の本数とか建物の形とか。日本の地図ってすごいですよ・・・。それに小学校で必ず地図の読み方教わるし、地図記号、等高線の仕組み、その間隔から方角まで推測、とか小学校の授業だろうか。日本の国土でないと面白くないのかも、だってこの国で、人が住むところはすべて平らで、湖のサイズは季節で変わって、そりゃどうやって地図にするんだ、って話だ。いや、ちゃんとあります、鉱物・地形図、土性図、森林被覆図、などなど。さらに市場で見つけた古地図、結構アツイです!
注3 画像、こちらの本屋で買った地図と地図帳。地図帳は多分どこかの国のもののクメール語訳じゃあないだろうか、日本の社会・地理の授業で使う地図帳の簡易版のようなもの。