数字から見えること

今日は、私の所属する学科で、土木建築を学ぶ学生に、どうしてその勉強するのかな?と言うのを考えてみてもらおうの回。

1ヶ月半ほど前になるか、同僚と論文を書いていたときに、その中で必要なカンボジアの統計データをいろいろ見た。その中の、UNICEFの統計データ、カンボジア統計局とカンボジア経済省のデータから、下記の表を作りました。表はクリックで大きくなります。あ、論文に使ったものではないです。

人口、増加率、出生数と寿命、GNIにGDPの伸び率などなど、の下にあるデータは成人の識字率と小学校に通える割合(就学率)、それから生まれてくる子どもが大きくなれるかどうか。最後の枠に並んでいるのは、1000人当たりの5歳以下死亡率、未満児死亡率、新生児死亡率、年間の5歳以下児死亡数、です。

この表から、たとえば人口の違いとか、経済発展の具合とか、カンボジアが日本の半分ほどの国土だと言う情報を追加すると人口密度の具合とか、2次データとしてもわかることはたくさんありますが、データをUNICEFから拾った関係もあり、最後の枠の、生まれてきた子供がちゃんと生きていけるかどうか、というデータがあります。この部分が特に日本との大きな違いであるように思います。ここにはないデータとして、Under-5 mortality rateにはそのランクもあるのですが、カンボジアは世界で58位、日本は168位(最下位から2番目)です。未満児のデータで、5歳未満児のデータでも1990年と2010年を比較できるようになっているので、それぞれが改善されていることはわかりますが、それでも小さな子供が死んでしまう比率が高い国であることはこの国の現状です。

大学の恩師は「人は順番を守って死ななければいけないよ」といいました。順番を守って死ぬためにはまず弱いものを守らないといけないし、弱いものが犠牲にならない仕組みにしなければいけない。

土木建築、市民工学の大きな仕事はインフラストラクチャの整備。インフラストラクチャとは、「人がよりよく暮らせるための公共施設」と説明されます。一番簡単なところでは、橋、学校や病院、道路、それから上下水道、電気、ガスなどなど。災害が起きたときに問題になるライフラインと呼ばれる部分がそれにあたると考えてもいいかもしれません。たとえば道路は、みんな毎日当然のように使うけれど、誰も何もしないでそこにあるものではない。水道をひねって水がでるのも、使った後の水がどこかに流れていくのも、勝手にそうなっているはずもない。

水の例で考えてみよう。
蛇口をひねれば健康を損なわずに生活が出来る水が流れ出るように、を考えて作って配っている人がいて、初めて家の水道の蛇口から水が出るのです。だから水が飲めます。

水道水の元になる水を川から必要な量だけ汲む → それを水を綺麗にする場所へ運ぶ → 決まって安定した水になるように毎日設備を動かす → それぞれの場所の蛇口から安全な水が出るように配水する → ここでやっとみんなが使う → 使い終わった水を集める仕組みを作る → 集めた水を川に戻して大丈夫なくらいに綺麗にする → 川に戻った水はその一部が水道水の元になる水、に戻る

簡単に書けば、小学校で習ったような君たちを通り抜けていく水の循環が描かれます。教わってるんだけどね、忘れちゃうよな、だって水道から水出てくるもん。だからその後ろにそれを作ってる人がいるって言うのも忘れちゃう。いつだったか、なにか牛乳に関連するトラブルがあったとき、「牛乳は水と違う、水道ひねれば出てくるものじゃない」という話を読んだが、いや、水道だってひねればでるもんでもないよ・・・?けっこうがんばっている人いっぱいいるよ・・・?とこっそり思った。まそれは余談として、もし上に書いてあるような君たちを通り抜けていく水が、「作られて」いるものでなかったとしたら?

たとえばこの国では川は多く大きく湖も東南アジア最大のものがあり年間降水量から考えても水資源量では日本よりずっと豊かだろう。水資源賦存量も然り。ただしそこに人の命をつなぐ水、を作ることが出来るインフラストラクチャが整備されていなかったら、小さく弱いものが大きくなれずに犠牲になってしまう現状が変わらない。水の利用には量とともに質が大きなファクターとなる。家庭用水をすべて川水でまかなう、特有の土性で濾過も難しい水に市場で売っている凝集剤を入れて使う。雨季には天水を瓶に溜める。水道が整備されているエリアでも、「雨季になったら水道水は使わない、高いから」、と言ったお母さんの話を思い出す。インフラストラクチャは「人がよりよく暮らせるための公共施設」ですが、それはこういった場所ではもっと切実に「人がその命を守れる公共施設」です。プノンペン市内には水道網はかなり張り巡らされていますが、もちろん無いエリアもある。井戸水に頼る場所で、話を聞かせてくれたおじさんは、「元の井戸なんか俺の家の中にあったんだけどさあ、このエリアの人みんな使うから道の方に引っ張って出したわけ。みんなただで使えるんだよ」と言っていた。使うみんながわかるのは、この井戸の水は大丈夫、と言うことだけかもしれない。命を守る公共施設は、本当は仕組みをみんなが知らなくても使える、それが大事なんだろう。水道から水が出る仕組みをわからなくても、知識があろうとなかろうと同じように使える。

ただし!君たちはその安心を作り守る側になるんだから、安全な橋の作り方も事故の起こらない道路の作り方も地震に備えた家の作り方も良い水と環境の作り方も住みやすい街の作り方もぜんぶ仕組みのわかる人になりましょう。そして水道ひねれば出てくる水、が安全であることをこっそり誇るといいよ!がんばって勉強しろよ-!私もする。

注1 画像はカンボジアのものではありません。これは毎年の私の研究室の学生にも大人気の地元の山中にある滝です。水は澄み、新緑に映え、本当に綺麗ですが、この川の水はまたとある事情で飲用には向かず生き物もほとんど生息しません。水ってのはおもしろいものなんだよ。

追記:画像クリックしても大きくならないし知らんページにとぶんだけど、という連絡をいただきました。すみません。直し方がわからないので放置!きゃー、ごめんなさい!文字化けも一部指摘されたのでそれは修正。でもでもトラブルにしか連絡をいただけないのは悲しいものがありますよ・・・?