師に関係なく

研究室の卒業生からメールをもらった。学校のサイトでリンクを張ってもらっているからだろうが、ブログ読んでます、というメールだ。結構いろんな人の目に触れているんだなあ、と驚く。先に書いた記事の内容で、土木の仕事、ライフラインに触れたが、ちょうど卒業しその関連の職に就いている彼には思うところがあったらしい。メールを要約(というか抜粋)すると、
「先生の記事に、命を守る設備はその仕組みを皆が知らなくても使える。だけど我々はそれらの仕組みを知ったうえ安全であることをひっそりと誇りに思えるようになってほしい、とあった。仕事を始めてそういった先輩方の仕事に感動した。先生の記事でまたモチベーションが上がった。日々がんばってゆきたいです」と言う内容。

・・・だれーー!誰がそんな偉そうなこと書いたの!えー、と思って自分の記事を見直す。うーん、書いたかも、偉そうなこと書いたかも。そうかー、彼は優秀だからなあ、私の勝手な文章を綺麗に書き直すとこうなるのかー。ごめん、そんな偉そうなこと書いて。現場で仕事もしたことないのに偉そうなこと書いて。

思うに、この仕事をしていても大概教えている学生の方がすでに自分よりずっと優秀だ。学校を卒業し、社会に出て半年、仕事をしている中で彼には思うことがいろいろあったんだろう。が、師に関係なく、もともと優秀な人間は優秀で、そもそも研究室に所属していたときから彼に何か教えてもらうことはあっても、教えることが出来たような気がてんでしない。同じ記事にあった、画像の場所も彼はしっかり覚えていて、フィールドワークでこういった場所を知ることが出来たことをとても良かったと思っています、と綴られていた。なんつうか、自分よりできの良い人間にものを教えるという仕事をしていてもいいのか、と思うことはあるが、私も給料をもらってメシを食っていかないといけないのでそこは割り切る。最低限のことができればよい。最低限てなんだろう・・・?

私にも大学の先生の言葉を思い出す時がある。大学に、図らずも教職に就くことになりました、と言う挨拶に行ったときだった。「君には教員ができるよ、だって君は人間がすきだろう。人間関係は少なそうだが、人間が好きな人は、人間関係が好きなわけではないのでむしろいいよ、人間関係がうまくいかないときにも悩まない。根本的にただ人間が好きな人は教師に向いているよ。」聞いたときは「この先生はいま、私に友達がすくない、というのと君は脳天気というのをそっと言っているってゆうかわたしのことdisってるよね?」と思ったけど、あながち間違っていなかったわけだ。私が何を書いても言っても、綺麗に脳内変換してくれる優秀な学生に支えられこの仕事を続けようと思います。いやあ、他力本願。

やや、今日はカンボジアネタなかったな。私は人間が好きなので、日本人もカンボジア人も同じように好きなので仕事がこちらで楽しいのだと思います、たぶん。なんか無理矢理。

注1 画像をどうしようなあ、と探していて、メールをくれた学生が友人としていたテクニカルタームしりとりを見つけた。ギーク過ぎる・・・。それからバレンタインに研究室にみんなが持って集まってきてたべたお菓子とホワイトボードにマグネットで描かれたハート(イベントの飾り付け的な??)も見つけた。当方は女性教員で学生は男子です。土木技術者を育てていたつもりでパティシエを育てたつもりは全然ありませんが大変美味しかった。