カンボジア近代史

カンボジアでは13日から16日がお盆休みで17日が振り替え、ということで、役所などでは5連休(のはず)だったのですが、15日早朝、お盆休みを使った旅先のホテルで、どのカンボジアのテレビ局も同じニュースをしている・・・と気づき、クメール語、わからないながらも眺めていると、シハヌーク前国王の御崩御のニュースであることに気がついた。前国王は89歳、今月の31日に90歳の誕生日を迎えられるはずだった。療養先の中国の病院で、15日未明になくなられたとのこと。それからカンボジアのニュースでは、シハヌーク前国王の記録映像、中国に向かうシハモニ国王と首相、王宮前で悲しみに暮れる人の映像がずっと流れ続けている。

記録映像ではフランス植民地時代に18歳で即位したシハヌーク国王がフランスからの独立をする過程、国民選挙、国作り、バッタンボーン、プレアヴィアのやりとり、おそらく1960年代の、本当に美しいプノンペンの街並み、オリンピックスタジアムでのイベント、コンポンソム(シハヌークビル)、シェムリアップの街並み、貿易の雰囲気、プノンペン、コンポンソム、シェムリアップの空港、国内の灌漑施設の大規模工事にプノンペンの目抜き(おそらくモニボン通り)街路の整備、穏やかなリバーサイドと王宮の風景、など、国民の絶大な支持を受けた国王が非常に精力的な国作りをしていたことが見て取れる。Facebookのカンボジア人の友人たちのページにも、その60年代までを知らない若い友人たちのページにも、悲しい、と言う言葉が綴られ、国連で、プレアヴィアを返してもらうために尽力した際のものらしい写真には、「彼はいつまでも我々のヒーローだ」と言う言葉がそえられていた。

先の記録映像では1970年代からの苦難の歴史を越え、カンボジアに戻られた国王の帰還の映像、それを迎える国民の映像から近代にもどり、帰還から20年の式典ではシハヌーク前国王が、王妃とシハモニ国王と手を振る映像が流れていた。大変に頭の良い人だったらしく、7カ国語を操り、若くして即位した王が、国際会合の場で、国内の様々な場面で、国民の幸福のために、と尽力していた、ということをみんなが知っているので、王室への国民からの支持が絶大なんだろう、ということがわかる。前国王は90歳、シハヌーク国王の激動の生涯はそのまま、激動のカンボジアの近代史だ。

カンボジア語で前国王の話はできない。英語でもむずかしい。でも英語と日本語がすこしできるカンボジア人に、例に漏れず前国王の崩御をとても悲しんでいるカンボジア人に、何か言えるといいのだけれど、と思い、「いっしょうけんめい作ってきた国が、良くなって、でもそのあとたいへんなことになって、たぶんすごく悲しかったけど、でも帰ってきて、またよくなっていくってわかって、それがわかるくらいまでたくさん生きられて良かったね」と言ってみた。彼はすこし笑って「そうだね、たくさん生きてよかったね」と言った。

カンボジアは今日から1週間喪に服すことになっているので、プチュンバン(カンボジアお盆)から引き続き、静かな街が続きそうです。職場には半旗。プノンペンの街路で、各国の大使館で、道に面した一般家庭の窓から、静かに半旗が揺れている。シハヌーク前国王のご冥福を心からお祈り申し上げます。


追記 画像は若き日の国王が国際交渉に臨んでいる際の画像なのですが、おそらく著作権がTVK(カンボジア国営放送)にあるのでは、ということなんですがはっきりしないので、問題があった場合削除します。