オートローンにいくよ

8時集合な、と言われて7時50分すぎにホテルロビーではちあう日本人二人。カンボジア人がまだ来てないと思い込み、ロビーで話し込んでいたら、隣のレストランですでに朝ご飯を食べていた同僚が呼びに来た。カンボジア人の朝は早い。この人たちは8時待ち合わせって言うと7時半にはくるんだよな・・・(注1)。

山奥に向かうので、お弁当を手配、果物も買い込み、おまえ、途中で水を買えよ、と同僚に言われ、TOYOTAの4駆に乗ることを促される。乗り込むのは私と教授のみ。ドライバーと助手席は鉱山省の役人だ。同僚は・・・?と思ったらプノンペンから乗ってきた車より一回り小さいバンに乗り込んでいる。何で2台にする必要があるのか、というかこの鉱物省の方たち英語明らかに通じないのですがどうするんですか。わたしの基本動詞だけのカンボジア語会話でどうにかなるんですか。とりあえず水を買って、国道からそれた田舎道を走っていると同僚から電話かかってきた。「俺たちはおまえたちの後ろにいるからだいじょうぶだー、もうすぐ追い越すぜー!」・・・無駄に陽気だけどまあいいか、到着までは通訳もいらない雰囲気だし。4駆の意味が一瞬でわかるような道をがったんがったん抜け、調査対象地に到着。

山奥で3カ所ほどの調査をし、対象地入り口の集落に戻ったところで同僚が言う。「俺、4-5年くらい前にここに調査に来たなあ」。そういうことは先に言えっての。「だって今思い出した。」じゃあ、同じ場所で分析試料をとらせてもらおうよ、と出かけていきここでもサンプリング。同僚がテヘ、と言う顔で苦笑いしているので何かと思ったら、「俺のことを覚えていた、おまえはサンプルとった後の結果を教えてくれない、といわれた」と。そりゃ君が悪いんじゃないか。というか同じ場所に来るならデータ持ってくれば良かったのに!と言うと、「そうだったねー、でも同じ場所かどうか来てみないとわからないから」という。確かに、まあ、そうなんだけどな。この辺は書くことが難しいのだが、それぞれの国にそれぞれの事情があるよな、ということを、調査試料のサンプリングに来て学習。

さて、山奥から州都に帰る前に、川水を取りたい、といったら、もうこれより先は車でいけないから、行くならバイクだ、と言われる。地元のバイク持ちをチャーターし、山道を3キロほど。山道のバイクの3キロ、2ケツは結構つらいの。でもとりあえず到着、うん、これは小川だ。乾季だから流れてないけど小川だな。川を渡る橋はなく、狭窄部が埋まって道になっている。「これ、雨季はこの道どうやって渡るの?」と聞くと「雨季は川になるんだから渡らないに決まっているだろう」と言われる。・・・そうだよね、川になったら渡らないよね。時々、「なにおまえばかなこといってんの?」という反応が返ってきて切ない。「常識」とは「日常の実用的な思慮分別」。それはつまり、「常識」が世界共通ではなく、「属地の知識」であることを意味する。私の知識はこの場所で非常識。

初日調査を終了し、夕暮れ時、メコンに沈む夕日を追いかける形で無事宿に到着。明日はどこへ行こうかな。あ、オートローンは地名です。

注1 朝8時の待ち合わせには7時半に来ますが、昼2時の待ち合わせには2時半にきます。カンボジアらしさ全開。
注2 画像、この日最期の調査地点で暑さで頭がいたくなった私は調査そっちのけで調査地にいた子犬を写真に納めようと追いかけ回していた。そしたらちびっ子が写真に撮りやすいように犬を抱き上げてくれたので、子どもと犬のセットだ!と浮かれたが、ばっちり犬しか写らなかった。で、ちびっ子のみも撮りました。良い面構えだ!ふくふくのなんか良い人相だ。人相とか全然わかんないけど。後ろでは女の子たちが恥ずかしそうにしていたが、この小僧はやたら肝が据わっていた。ありがとうね!

イルカ見るぞー!

さて、先週の出張の話。日本から調査に来てくれた同業の教授に同行し、カンボジアはプノンペンより300kmほど離れたクラチエ州の州都を拠点に州内の調査を。1週間まるまるの出張は私もこちらに来てから初で、しかも出発日とその時間だけが決まっていて行った先でどうなるかはいってみないとわからない、という日程。でも大概の場合海外での調査はそんなもんだ。いってみないとわからない。いっても無理はしない。だめなときはだめだとすぐにあきらめること。そうでないと無理してもけがするとか、ろくなことにならないから。

まず環境省カーで早朝にプノンペンを出発。クラチエまでは前日の環境省会議で、上司から午後2時くらいには着くだろう、と言われていた。同僚が、いや、12時にはつくよ!と言い張っていたが、それはあなたの運転がかなりかなりだからです。危ないんだもの、いっつも。

カンボジアの主要国道、特に大きな都市と都市をつなぐ道はもうすべて全面舗装になっていてかなり走りやすい。そんななか一番面倒なのは実はプノンペンとシェムリアップという2大都市をつなぐ道路なんじゃないか。2大都市ゆえに早くに舗装がおこなわれたこの道は、もちろん使って行くにつれて老朽化し、現在では他の主要国道より道ががたがたなんである。今回の行程も、はじめの分岐まではどうなることかと思ったが、その後のクラチエに向かう道がとても快適で、思ったより早く進んだ。1時半に到着し遅めの昼食をとり、現地政府の役人と明日からの日程の打ち合わせ。

私と日本からの教授に加え、プノンペンの本省から2人、クラチエ州の環境省職員が2名、クラチエ州の鉱業省職員が2名、現地警察が2名、現地雇いの車とドライバーで全9名の大所帯。この愉快な仲間たちで、あした朝から山に向かう旅がはじまります。ここに来て打ち合わせをしても、どんなことになるかはまだ、明日にならないとわからない。行ってみればわかるさね、と初日の仕事を終えた。同僚が、イルカ見るよ!という。

さて、ここでタイトル、イルカを見るぞー!クラチエは川イルカで有名なのです。イルカ公園ではほぼ間違いなくイルカが見られる。そこでプノンペンからの4人組はクラチエ州都からメコン川をすこしさかのぼった公園に。行く途中、教授が「ドリアンたべよう」と言い出す。好物だそうで、市場の果物屋さんで売っているドリアンを4人で。割ってもらってその場でビニル袋を手にはめもりもりもぎ取ってたべる。外でたべると臭くなくっていいね!とおもうけどたぶん端からは臭いんだろうな・・・。

公園では、川に沈む夕日と、遊覧の仕事を終え帰って行く船とイルカ。「でた!あたまがでた!」と騒ぎながら川を眺める私と、環境省の同僚に「船をここで1日借りたらいくらになるんかね?」と船持ちの地元民に尋ねるよう頼む教授。教授の仕事は終わってなかったみたいです。

クラチエは静かな川沿いの街、夜も早い。すこし街から離れれば電気のないエリアもあり、日が落ちた村では一軒に一個の小さな電球、あるいはそれもない中でもう人が寝付こうとしている気配がする。田舎の静かな空気は、プノンペンに普段いて1日騒音にさらされている私にはちょっとほっとする。日本の地元の静かさも思い出すなあ。

注1 市場でドリアン。お姉さんが向いてくれたけどその果実のせいか、お姉さんが練習中なのか、なかなかうまく剥かれずたいへんだった。でもおいしい!ドリアンは本当に美味しい。
注2 画像、メコンに沈む夕日。プノンペンでは太陽は川に沈まないので、メコンに沈む夕日は見られません。川にしろ、海にしろ、水に沈んでいく太陽と言うのはなんかよいね。

才能と努力と

 カンボジア地方部めぐりから戻って参りました。いやー、よく乗った。色々乗った。車とバイクと船各種。地方部巡りについてはおいおい書きます。なかなかおもしろいし一回調査にでるとわかることは本当にいっぱいあるんです。実際時間はそんなに効率よく使えないし、無理もしてはいけないが、一回行く、それだけでわかることが本当にたくさんある。いくら同僚に聞いても、電話で聞いても、ネットで調べても駄目。行かないとわからないのだなあ。そりゃあ使う感覚の数がちがうよなあ。

 今日は帰ってきたけど国民の休日なので役所は休み。当然同僚は来ません。。。と思っていたら、金曜まで一緒に旅をしていた同僚は今日もサンプリングにでていた。さっき電話したら、今フィールドだから!後2時間くらいで帰るから!と言われた。この同僚、先週の調査中も、実は締め切りの迫った書類が有りプノンペンに帰りたくて仕方が無いでいたのだが、電話問い合わせにて一転、申請の日程が延びたと言うことで滞在先のクラチエでとても一生懸命、いろんなアレンジをしてくれた。私と日本からの教授はその後土日にも調査をしたのだが、さすがに付き合わせるのは酷だ、と御願いしなかった。今日も調査にでているのか、、、を知り、土日に無理を言わなくて良かった、と思う。

さて、調査の報告の前に最近の雑感を一つ。自分は中学校から何年英語を勉強しているんだろう、でもどうして話せ無いのかなー、と思ってた。カンボジアに、英語と日本語の読み書き会話、タイ語とフランス語、韓国語の読解と聞き取りが出来るカンボジア人の知人がいる。もちろんネイティブはクメール語だ。大学時代にも、大概の言葉は2ヶ月くらいでなんとか話せるようになる、というモンゴル人の友人がいて「語学って言うのはセンスなんだな、出来る人はなんかものすごいできるもので、その才能が私には無いなー」とそのくらいぼんやりに思っていた。

 ところが、先の知人が、私が日本の友人から借りた日本語の漫画(注1)を読む方法に驚愕した。彼は漢字もかなりの数が読めるのだが、当然難しい字はわからない。ではどうするのか。まず漢字を一文字、画数を数える。画数検索で読み方を調べる。それを和英辞典で意味に直し、漫画のセンテンスに戻る。熟語なら手間は2倍、3倍。本当にすごいんだよ。まず「将」の字の画数を数える。10画。電子辞書の画数検索をつかい、何十とある10画の文字の中から同じ形のものを見つける。「しょう」という読み仮名を書き留める。次に「棋」という文字の画数を数える。12画。同じように形で「棋」を見つけ「き」を書き留める。つなげると「しょうき」これを和英辞典に入れる。でも「しょうぎ」じゃないから出てこないこともある。国語辞典にもどる。「しょうき」をいれて、多数の選択肢からから「しょうぎ」という読み仮名だと知る。もういちど和英辞典。「将棋」=「しょうぎ」=ゲームの名前。ここまでやって、やっと、「あー、この漢字は、この漫画のゲームの名前だね!」という。当然1ページ読むのにすごい時間がかかる。その確認までにイライラしないのかと。わたしだったらどこであきらめるだろう。言葉を学ぶためにこの人はこの努力を何年したんだろう。私勉強してないなあ。ほんと、学校に通っていただけだ。私はただ、「英語の授業がある環境」にいただけだ。

こうやって、ずっと繰り返して、やっと勉強している、話せるって言うんだな。できるひとはそれに見合った努力を絶対にしている。なんでできないのか、なんて簡単にいっちゃいけない、それは勉強していないからだ。勉強の意味を全然わかってなかったんだなあ。こちらのひとは、若い人が希望をもって本当によく勉強する。その姿勢に、なんか色々ごめんなさい、という気分になった。私もがんばろう。

注1 これでなんの漫画家わかったらすごいけど将棋の漫画は結構たくさんありますね。今回は三月のライオンです。おもしろいね!
注2 画像は美味しいご飯シリーズ、調査にでていた時の朝ご飯です。毎日内容を変え毎日クイティウをたべました。画像は牛肉の平打ち麺と豚肉の細麺、どちらも米の麺です。もやしをたくさん入れて、チリとライムなど好きに味を足してたべる。牛肉のクイティウは薄切りの生牛肉に熱々のスープがかかってやんわり火がとおり大変美味。クイティウ屋では麺の種類を色々選べますが、わたしは黄色の中華麺より昔ながらの米の、とくに細麺(グラスヌードル)が好きです。

言い訳書かせて

突然音沙汰がないままになってしまいましたがなんの問題も無く生活しております。忙しいけど。で、なんでそんなことになったか言い訳を。

先週はカンボジアは水祭りでした。火曜日から木曜日まで週の真ん中が休み=公務員は休み=インターネットにつながらない。
金曜日、久しぶりに出てきたみんなは大忙し。日本からお客さんなどあって私も大忙し=インターネットにつなげない。
土曜日、日曜日、通常の週末で休日=インターネットにつながらない。
月曜日、休日が立て込んだためみんな忙しく、日本からのお客さんなどあって外調査にでていて以下略

そしていろいろあってクラチエ(カンボジアはプノンペンより北、メコンの流れるイルカの街)にいます。研究調査です今週は帰りません!さらに奥地に参ります=インターネットにつながらない。というわけで、また再び来週まで音沙汰無くなるかと思いますが、カンボジアの山奥で、愉快な仲間たち(現地政府の人とか、いつものラボのスタッフとか警護のポリスマンとか)と車にゆられたり船にゆられたりしてる予定です。首都プノンペンに戻ったらそんな報告をします。

さて、先日まで来ていた日本の職場での同僚に、仕事のはなしなんぞ読んでもわからんのでうまいメシとか観光のことが書いてあった方がいいんじゃー、という意図のご意見いただいたので、食いしん坊ブログを目指してご飯の画像を撮りためています。本当にくいしんぼうなのでご飯の前に1度箸を止め、画像を押さえるのは至難の業!というわけで、とりあえずは市場の果物屋さんから。南国果物屋さんは良いにおい。昨日もドリアンを市場の隅っこで割ってもらうそばから食べました。明日からは山奥にランチボックスと水を持ってはいるので、グルメなことにならないな・・・ま、帰ってきたらまたうまそうなご飯画像とともに、あの辺で雨が降っていたご報告します!では!

注 画像1、市場の果物屋さんは、今は雨季のおわりなので(そろそろ乾季といってもいいころか?)なんとなく4月5月の絶好調に乾季だった頃に比べ元気がありません。一年中夏の場所には季節の変化など雨季と乾季の違いくらいかと思いがちですが、常夏の国の果物にも旬が有ります。
画像2、クラチエはその州の真ん中をメコンが流下しており、州都はメコンの左岸、東の岸にあります。そのため街からみて川に夕日が沈む。乾季にはいり水位はすでに下がっているとはいえ、岸から眺める水面がちかい。船が夕方のんびり家に帰っていくのは、優雅で良い風景です。

だしてーー!!

毎日職場から帰るのはだいたい5時半。大概の場合最後だが、チーフや、実験が終わらない同僚が私より遅いこともある。大概は私か、チーフが鍵を閉めて帰る。先に返るときは互いに、帰るよ、と声をかける、のはまあ普通通りだ。ただ、この声かけは普通よりずっとこの研究室では大事だ。というのも、スタッフは全員がまず入り口の鍵を持っていて、それから、それぞれが使う部屋に併せて、その部屋の鍵を持っている。なので、それぞれの部屋の鍵、戸締まりは使った人が責任を持ってやることになっている。日本でも大学などでたまにPCの盗難など問題になることがありますが、ここでも貴重な実験機材やPCなどのある部屋はとくに戸締まりに気を付ける。だから、誰が帰っていて、誰が残っていて、最後に誰が鍵をかけるんだい?というのはとても大事。俺はもう帰る、おまえまだいるんなら鍵よろしく頼むぞ、と言う意味が、さきにかえるよー、という挨拶に入っているのだ。

ついでに、入り口の鍵はカンボジアでポピュラーなガッチリ南京錠。ということは、外から締められたら、中からは開けようがない。だから、みんな帰るときに自分以外に誰も残っていないか、最後の鍵を閉めて良いか、も部屋を回りながら確認するというわけ。さて、ここまで書いて、察しの良い方はこんなことを思うかもしれません。だいたい最後まで残っていて、毎日のように鍵をかけて帰るのが日課になっている私、中に人がいるのにいつもの癖で外に出たときに鍵をかけちゃったんじゃないの・・・?そう、わたしのおっちょこちょいならそんなことをしでかしてもおかしくないね。でもこの日は違った。5時過ぎ、同僚が先に帰るよ、最後はおまえだぞ、と確認に来る。6時過ぎ、私もしごとが終わり帰ろうとする。・・・ドアが開かない。鍵が見当たらない。あー!閉じ込められた−!!自分が一番やりそうな失敗を私より先に誰かがやりよった!

このままでは研究室からでられないぜ、と、何とか脱出方法を考える。一番近くに住む同僚に電話する・・・?窓をあけ、外に向かって警備員さんに叫び、鍵を渡して開けてもらう・・・?奥の扉のさらに奥、よじ登ればでられるスペースがあったような・・・(注1)、といろいろ考え、防犯上の理由で詳しくは語れませんがはたと気づく。うち鍵だけがやたら頑丈な別出口があったはず。研究室の奥で外鍵がついていないドアのうち鍵を、がっちがちに固いうち鍵をハンマーでかちかちたたきながら何とか開け、正規の入り口に向かってダッシュ、外鍵を自分の持つ鍵で開け室内をもう一度通過、脱出した扉のうち鍵をもう一度ハンマーで閉め直し、正規の方法ですべての戸締まりをしてやっと脱出。でられた−。家に帰れるー。

防犯意識は高いに越したことはないが、自分が閉じ込められなければ間違いなくそのうち人を閉じ込めてたであろうおっちょこちょいのわたしは、この苦労を同僚にさせませんように、と本当に気を付けようと思ったのでした。いや、もしかしたらもう何度かやってたりして・・・?(注2)同僚が私に言ってないだけだったりして?

注1 もちろん外からは入れません。こちらの建物は建物の中の部屋のドアにもうち鍵があって、ロックしてしまうと外からは入れないって結構あるのです。すべての部屋に鍵。自宅ではトイレにも食器棚のそれぞれの段にもクローゼットのすべての扉にも鍵が有ります・・・。画像はカンボジアで人気のSOLEXのもの。
注2 実はトイレ部分と研究室をわけるところの鍵は何度か同僚が奥にいるのを知らずにかけてしまい、扉をたたきながら怒鳴られたことがあります。てへ。開けると、またおまえか!と言われる。ええ、1度や2度じゃないですごめんなさい。

1月7日とか 

お盆を使って小旅行に出かけた海沿いの街で気がつく、この街にもプノンペンと同じ地名があるぞ・・・?こういったことは今回に限らず、カンボジアには結構同じ地名の場所がある。で、今回気になったのは7 Makaraという地名。そのままだと1月7日なんだけど、なんで?なんで1月7日なのか?何か理由がある日に違いない、と調べてみると、どうやら1月7日は、カンボジアのポルポトレジュームからの解放の日の関連だそうだ(注1)。そう言われてみると、この名前、地名だけじゃない。レストランにもある。これが良い、となるといくらでも繰り返すカンボジアでは、同じ地名、同じ名前の店、たくさんあるのだ。独立記念日の11月9日は名前であんまり見ないけどな・・・?まあいいか。

縁起が良い、というのはカンボジア人にとってとっても大事らしい。日本でもこだわりの数字が並ぶクルマのナンバーや、語呂の良い電話番号などは入手が難しい都聞いたことがあるが、カンボジアの電話番号でも高価なものは非常に高価らしい。たぶんお金持ちの偉い人が使っているんだろう、と想像できるけど、一方でお金持ちの偉い人はその番号がばれないように、非通知(というのがカンボジアにもある)で電話をしてくる。・・・それは、高い金だして良い番号を買う意味があるのか?良い番号は高い、そして覚えやすい、だからお金持ちが買うけど偉い人や有名人はそれを人に伝えられないと言う謎のジレンマ。

私が一番わからない縁起の良い話は168。カンボジアにいる人なら、168と言う数字、そこら中で目にすると思うのです。ソリヤバスは168がマークになっているし、168レストランもそこら中にある。なんで168なのか、と聞くとやっぱり、良い数字、という返事が返ってくる。仏教の?何の良い数字なの?と聞いても、わからん、昔から良い数字、といわれて終わり。カンボジア人は私の「なんでどうして」にイライラするだろうが、わたしは仕事柄「なんでどうして」がわからないとイライラするんだよ!というわけで、168の謎を知っている人は教えてください。残り少ない滞在期間に出来るだけカンボジアの謎を解いてすっきり帰りたいが、いればいるだけ謎が増える国なんだよな・・・。

注1 1979年の1月7日、カンボジア救国民族統一戦線がカンボジアの首都プノンペンに侵攻。ポル・ポト政権(民主カンボジア)が崩壊。
注2 画像は168。いっぱいあります。知人の会社の社長は車を新しく買ったのだが、ナンバーにこだわりそのナンバーを買うのに1400ドル払ったそうです。わからん。まったくわからん世界だ。

ご近所で道路工事

11月9日はカンボジアの独立記念日でした。職場のそばには独立記念塔があって、おそらく11月9日を挟むイベントに向けて夏からずっと改修工事をしていた。あ、ここで夏と言ったのは8月ぐらいって意味です。カンボジアはいつでも夏。独立記念日を前にその工事も終わり、毎日記念塔が綺麗にライトアップされているなー、と思っていたら、ある日を境に、独立記念塔を回るロータリーを基点に、リバーサイドに向かう一方通行の大きなロータリーでやたら渋滞が起きやすくなった。職場からの帰り道、渋滞過ぎて道が渡れない。なんでこんなことになってるんだよーう!と思っていたが、どうやら道路工事のためだったようだ。一車線づつ、順番に一定のスパンでアスファルトの全面張り直しをしている。

工事は路盤はそのままを使いアスファルトの表層だけを再舗装するもの。でも全面だからかなりの規模。そして人力。アスファルトは熱いので、おそらく支給の全員同じ靴(安全靴)を履いた作業者がトンボのようなもので広げている。その後をマカダムローラーやタイヤローラーで仕上げ。作業中のところにはもちろん入っちゃ駄目なんだけど、いくらアスファルト舗装はできあがりが早いとは言え、仕上がり後もしばらくは車も人も入れない・・・筈がここはカンボジアだから、バイクはどこでも通りたいし、回り道をしていたら暑くって疲れちゃう。そもそもカンボジア人は歩くのが嫌いだから遠回りなんかしたくない、というわけで、作業している人とそこを抜けたい通行者の攻防があちこちで。

結果、本当ならもうちょっと通行止めにしておいた方が良いのに、もう良いの!?と言うスピードで道路が再解放される。環境省の前も工事してたんだけど、ひもがもう張られていないから大丈夫なんだろう、と足を踏み出したら、ビーサンがぺったりくっつく。うえぇ!?と思いながら必死で次の足を踏み出す。舗装区間を抜けてもまだ、ぺたぺたしながら必死で進む。何かすごいトラップに引っかかった気分だ。一応振り向いてみたけど、足跡は残ってませんでした。なんですか、カンボジアの作業者は、クリティカルなラインを見極める術か何かをもっているのか・・・・?

独立記念日がおわり、イベントも終わったので道路は静かになり、綺麗に走りやすくなった道が残りました。強いて言うなら問題は、穴の開いていない、綺麗になった道路はバイクも車もスピードを出しやすく、歩行者の危険は増大!と言うことだ。ますます、道を渡るときには気を付けよう!

さて、これを書いているいま、11月20日はASEAN会議の真っ只中で、実は昨日から今日、カンボジアの省庁、主な大学、学校などは休みになっています。同僚の先週の訴えは確かなようで、ASEANの最中は偉い人の車が道を通るたびに警察が通常の交通を止め、そのたび大渋滞が起こるので、おそらく交通渋滞緩和のためにトリップ自体を減らそう、といろんなところを休みにしたんだと思います。そんなわけで、月曜日と火曜日は休みだぜ、を金曜日に突然知らされ、またそういうことを!とムキー!となりましたが国の方針なので仕方ない。一人休日出勤中です。環境省のラボはみんな毎日たわいもないことをよく喋っているので、一人だとさみしいなあ・・・。