まだ10時!

今日は土曜日ですが土曜日は出勤日の私は普通にあさ職場に来たら、10ヶ月滞在していてはじめて!環境省のゲートに鍵がかかっているのを見ました。ええー、入れないのー、しごとにならないのー、17日に設定されているセミナーでの発表とか準備とかもうギリギリ感はんぱないんだけど!とゲートに張り付いてみても不審者と思われてしまうので、市場でエビを買って帰ろう・・・とぽとぽ市場にむかう。
と、そこで守衛さんに出合った!「あー!かぎー!」と言うと、土日出勤をしていることをしっている守衛さん、あけるあける、とジェスチャーし去っていきました。どうやら守衛さんが市場に買い物に来ていたため、ゲートに鍵をかけたようだ。環境省の守衛さんたち(複数いる)はいつも何をしているんだかわからないなあ、と思っていたが、ちゃんと仕事をしていたんだなあ・・・。さて、今日は昨年末の話。

朝はだいたい8時から仕事を始める。装置のアイドリング的な準備が終わり、そろそろ本気の測定が始まるよ、という午後10時、おーいにほんじーん!と同僚が叫ぶので、今日はなんですか、とおもったらキンキンに冷えたビールを手渡されました。もう一度書こう、まだ朝10時・・・・。

カンボジアには3回正月がある、と書いたのは前回の記事ですが、各正月の前には、上司つまり上役や偉い人にはお歳暮的な何か(花とかお酒やお菓子の詰め合わせとか)が部下から送られ、偉い人からお正月を祝うためのビールやジュースなどが職員に配られる、という仕組みがあるようだ。そしてうちのラボはその荷物置き場的なことにもなっており、数日前から部屋の隅にはどんどんとビールの箱が積み上げられていて、その高さを日々増していた。

明らかにあの箱のビールの一部と思われるが、これは飲んじゃっていいの?というと、俺はまだあと10缶冷やしてあるぜ!と発泡スチロールの箱に氷を入れたものに突っ込んだビールを見せてくれた。質問と回答がかみ合っていないような気もするが、冷蔵庫のサンプルをビールを入れるために放り出さなかったのが偉いのか、何に頭を使っているのか、と言うべきなのか、もう色々わからない。でも朝10時、なぜかみんなで一缶ずつのビールをあっという間に飲み干し、そして仕事に戻った。これは27日の出来事。年末進行なのか、とも思うけど、先にも書いたとおりカンボジアでのインターナショナルニューイヤーは1月1日が休みなだけ、というわけで、これはどうやら、年末だし、仕事はあるけど、いつもの「カフェに行こうぜ」が「ビール一本のんどこうぜ」に変わっただけだったようだ。

午前中のそれは集まって20分ほどの時間で一本のビールを飲み、仕事に戻るという謎のイベントでしたが、同僚は午後にラボに来た教授にもビール勧めてました。どうも気分的にビールデイだったんだな。でも教授断ってた。えらいなあ。ただその後、ラボでは夕方は5時を過ぎ、屋台が広がり始めた省の前の道からつまみ買ってきて、本格的に飲んじゃってた。日本人的には仕事納めでした。

注1 つまみはソーセージと牛肉団子の揚げたやつ、チリソースとキュウリと一緒に食べます。定番おつまみ。牛肉団子は時々胡椒が一粒丸ごと入っていて、当たると辛いけど美味しいです。ちなみに前述の守衛さんたちも夕方ビールを飲みながら牛肉団子をたべていて、帰宅間際、飲んでけ食ってけ、と言われること多し。帰宅前のトラップです。さて、年末に消化できなかった記事を書きましたが、次回から通常営業(が何なのかわかってないけど)です。

新年明けましておめでとうございます(1回目)

カンボジアには3回新年があります。インターナショナルニューイヤー、チャイニーズニューイヤー、クメールニューイヤー。そんな事情で日本ではたくさんのインターナショナルニューイヤーの年末年始休暇は、カンボジアにはありません。カンボジアではクメールニューイヤーの休みは長いが、今回は1月1日だけがぽつんと休みになる。今年は土日などもつながらなかったため、同僚たちは31日月曜日も、2日水曜日も通常出勤でしたが、私だけこっそり日本の暦でお休みしました。日本から来ていた友人夫婦とコンポンソムに行き、友人の子ども(超人見知りの1歳児)を生ぬるい南国の海につけしかめ面させてみたり、海辺でピザを食べながらビールを飲んでみたり、大晦日にはイカとシャコをむさぼり食ったり(人は蟹を食べると無言になりますがシャコでもなります。カンボジア調べ)、新年あけて田舎の農園でチキンとジャックフルーツの蒸し焼きをたべたりしてました。主にたべてました。

さて、その結果仕事が立て込んでいるので今日は短信、最近の学習事項

冷蔵庫にドリアンを買ったのを忘れて旅行にでると旅行から帰ってからテロのような冷蔵庫の具合に泣ける。ついでに冷凍庫もドリアン臭くなり冷蔵庫と冷凍庫はつながってるんだなあ・・・を再認識できる。

よい子はまねしないほうがいいよ!では、今年もよろしく御願いいたします。

川の名前いろいろと神頼み

今週はお隣のオゾングループが全員会議で他の州にまとめて出張のため、われわれがただ乗りしている「インターネットの電源」が入らないので一週間ネット使えません。現在自前のモデムで接続中ですが、そんなわけで更新が途絶えておりました。途絶えていたんですよ。最近突然サボったりしているので、途絶えていたと気づかれていなかったりして。それもまた寂しい。さて、先週まで書き綴った、12月はじめの調査について、プチ雑感。

今回の調査で、川水を色々採ったのだが、日本では河川といったら「川」以外にあんまり呼び名はない。強いていっても「川」と「河」くらいだろうか。どんな川も「○○川」という名前になってる(注1)。
カンボジアではそのサイズによって、川がいろいろに変化する。大きさ別に並べると

おう
ぷれっ
すとん
とんれー

いちばんおおきいのは「とんれー」これが大河川ということです。「とんれーさっぷ」「とんれーばさっく」「とんれーめこん」などがそれです。すとんはもう一つちいさく、「すとんしぇむりあっぷ」「すとんせん」「すとんてー」などあります。ぷれっ、と、おう、はもっとちいさい川、小川や渓流などのようなものを指しているらしいのですが、まあカンボジア人の区別はちょっといるだけの日本人には感覚的にはわかりません。同僚に聞くと、人によってすとんとぷれは一緒だ、とかいうし。詳細はカンボジア国土地理院(注2)、というのがあるかわからないがとにかく公式発行っぽい地図を見ると、それぞれの英語訳がのってます。じゃあそれを書いてよって話よね。まあ興味がある人は調べてください。

生活に密着したものの名前は詳しくなる、という仕組み(注1)は、どの国も代わらないとすれば、この国には水に密着した生活がたくさんあった、ある、のだろうと容易に想像できる。

トンレサップ湖を縦断してカンボジア国内の2大都市を移動し、トンレサップ湖に調査にでて、船にぐらんぐらんゆられ、シェムリアップからの飛行機で眼下にトンレサップの湖岸線を眺める。雨季と乾季の切り替え時期に、流入と流出と勾配の奇跡のバランスで絶妙に大きさを変え、豊かな土壌を作り、カンボジア人の胃袋の60%を支える魚類のタンパク質を育み、メコン川の巨大遊水池として機能するこの湖は、それでも遙か昔からは大分大きさなど変わっているという話だが、人の力で制御などできないこの手の強大な自然の仕組みは、気象の変化などでおかしなことが起き出すと、本当に大変なことになるだろう。お願いだからバランスを崩さないでね、と神頼みに近い気分になった。

注1 日本も山と川と多いし、名前はいろいろあって良さそうと思ったが、川は案外ないですね。生活密着の名前が詳しくなるのは、たとえば肉食の国で肉の名前、とか、魚を多食する日本では成長に合わせて魚の名前を変えてみたりとか?いろいろですね。英語ではpigとporkは別の単語ですが、日本で、豚、豚肉、というように、カンボジアもチュルーク(豚)とサイッチュルーク(豚肉)という具合に肉を意味する単語がつくだけです。仲間。
注2 日本での国土地理院発行の二万五千分の一とか、一万分の一のような地図がカンボジアにも本屋で売っているのですが、どこが作っているのかよくわからんのです。でも発行2010とか2012とかなっているのはおそらく国でやってると思うんだけど。今度調べてみよう。

小舟ぐらんぐらん

朝、市場でお弁当を買い込み、果物も買い込み、昨日約束したおじさんのところへ向かう。待ち合わせ場所に到着すると、もうしばらく湖に向かって歩いてくれ、という。乾季なのでかなり先まで船着き場から道が続いているのだ。降りていくとこの船に乗ってくれ、と小さな船を指さされる。これで真ん中までいくのか?と思ったら、おじさんの家は水上家屋なので、出発する船に行くのにまず船に乗らなければいけないのだ。船でどーんと玄関に到着、そのまま次の船に乗り換えて、船長はおじさんの弟です、と紹介され、おじさんが家から枕を投げてくれて、出発準備完了。いや、おじさん、あんた行かないのかい。というか我々に湖の真ん中で昼寝の予定はないので枕は良いです・・・と思ったがこの枕は結局結構役に立つ。

船は時速10kmでのんびりすすむ。このスピードでどこまでいけるんかな・・・?もわからないけど、とりあえず弟の言うままに進む。水面というのは遠くから見ていてはわから無いが、進めば進むだけ波が高くなり、船もぐらんぐらん揺れる。が、涼しい顔で操縦桿というなのエンジン直結のハンドルを船の縁に立ったまま足で操る弟船長(画像、左上)。あんたすげえな。乾季の水が少なくかなり安定した気候の今日でこれだ、きっと雨季の増水した時期のトンレサップは、たとえばベトナムに近づいた台風の余波などある時には途方もないことになっているのだろう(注1)。

結局、弟船長チョイスの一番岸から遠い採水ポイントまでは、だいたい3時間、トンレサップは縦長の湖なので、ど真ん中ではないだろうがバッタンバンからの流入河川の澪筋に近いところには居たのじゃないだろうか。水を汲み、ここから水を汲みながらまた岸まで帰ろう、というところで、ガイド兼通訳をがんばってくれていたカンボジア人がダウン。私は今まで乗り物に酔ったという体験のない人で、おそらく極端に三半規管の強いタイプ。教授も乗船経験が多く、ほぼ問題の無い方。だがガイド氏は、通常には無い通訳と、船の上で地図を見て船長に説明をして、を繰り返していて具合が悪くなったらしい。もう帰るだけだから大丈夫です、と、おじさんの放ってくれた枕を積み、ガイド氏が船上で昼寝。のんびり船でメシを食う我々の隣、ガイド氏はもちろん昼寝、というかくたばっている。すまんかった。

採水を終え、水上家屋に戻ると、なぜか昨日話を始めに聞いてくれたおじさんが。黒い水だ、黒い水を汲んできたぞ、とペットボトルをくれた。事情が全然わからない日本人、とりあえず邪魔するよ!と水上家屋に上がり込み、ガイド氏をたたき起こし通訳を依頼する。すると、おじさんは「昨日話を聞いたとき水を汲みたいのはわかったが、俺は湖の反対の岸に客を届ける仕事があった。だからおまえたちを連れて行けなかった。で、弟船長の一家を紹介した。朝、おまえらが反対の岸にも行きたがっている連絡が来たので、それは弟船長の船じゃ間に合わないから、俺が行ったついでに水を汲んできたぞ。これは黒い水だ」という。おお!まったく知らないところで2方向に調査が進んでいた!思わぬ感じで広範囲にサンプルゲット!地図を引っ張り出して場所を聞くけど、結局わからないけど(地図読まないから)、どうもお気遣いありがとう。この水は日本まで行くよー。

さてこれでのべ7日間の試料採取旅行は終わり(注2)。後はシェムリアップからプノンペンまで、飛行機でばびゅーんと帰りました。最近になって気がつきましたが、カンボジアは北緯10度くらいのところにあるので、一応昼夜の長さが一年で変わるのです。最近昼が短いな、を、プノンペン空港到着時の暗さを8月に同じ飛行機を使った時と比較して知る。カンボジアもこれからすこし寒くなります。

注1 カンボジアには台風はほとんど来ませんが、ベトナムやタイに来る台風の影響を受けて、雨季にそれらしい荒れ方をすることがあります。まあ、台風無くても雨季の風を伴うスコールは台風と同じすさまじさですが。昔は本当に台風来なかったのに、最近気候がおかしいよ、とは、どうして今年の乾季はこんなにあっついんだ!と怒っている同僚の談。
注2 書かなかったけど、クラチエ出発前日はプノンペン市内の調査にうろうろしていました。毎日外仕事というのは結構疲れるね・・・そして私はまた真っ黒になりました!チャイニーズクメールの同僚にならぶと私の方が黒い!
注3 画像は弟船長、湖の中のお寺、道路標識ならぬ水路標識。水路標識は、澪筋がせまくなるので乾季は追い越しだめよ、みたいな意味らしい。

トンレサップを上るよ

クラチエから戻って一泊、次の朝にはまた船の上。今度はプノンペンからトンレサップ川を上りトンレサップ湖を縦断してシェムリアップに向かうのです。プノンペンートンレサップのスピードボートは朝7時半出発。時速40kmほどで快調に進み、13時半頃にはシェムリアップに到着します。

トンレサップ川のスピードボートは途中、コンポンチュナン州の州都を抜け、その後はひょうたん型のトンレサップ湖をひたすらシェムリに向かって縦断。トンレサップ湖は巾着型をしたカンボジアの西から中央に広がる、シェムリアップ州、コンポントム州、コンポンチュナン州、ポーサット州、バッタンバン州に囲まれた東南アジア最大の湖です。そのサイズは雨季と乾季で大きく異なり、大概の地図で見るトンレサップのひょうたん型は乾季のちいさいときの形。乾季にはトンレサップ湖→トンレサップ川→メコン川の水の流れが、雨季にメコン川→トンレサップ川→トンレサップ湖(と周辺の湿地(遊水池))に水が逆流を始めると、その湖としてのサイズが大きくなる。

乾季であってもそのサイズは相当で、遡上を初めて3時間ほど、トンレサップにはいったら水平線しか見えない、ということも珍しい光景ではなかった。スピードボートはかなり安定していてほとんど揺れなかったが、雨季の湖が大きくなっているときは波も高く、上司の言うには「自分が行ったときは5メートルくらいの波が立っていてケップ(海の街です)でボートに乗ったときより酷かったよ」とのこと。まあ、穏やかな航行が出来たってことだったのだと思う。乗客は船内ではエアコンががんがん効いて快適な中で眠れるし、船上では欧米人がここぞとばかりに半裸で日焼けをしていて、のんびりな船旅だった。何より船旅は、スピードが一定できちんと進み続けると本当にストレスがなくていいね!バスより速いし、1度は乗ってみることをおすすめします(注1)。

シェムリアップの港は最近綺麗に整えられたらしく、観光船の改札や売店、お土産売り場などが賑わっていた(画像は未だ建設途中の道路)。大型バスで乗り付ける観光客も、バス用、トゥクトゥク用の駐車場もいっぱい、船には降りる前から客引きのトゥクトゥクが乗り込んでくる。我々はまず明日の調査用に船の手配をしなければね、ということで観光船用の窓口で聞いてみる。観光船の窓口は1時間ひとり15ドルの共通チケットを売っているのみ。これでは調査に行けないので何とかボートをチャーターする術を探す。湖畔に広がる水上集落を見に行く、くらいなら出来るのかもしれないが、湖中央に近い場所まで水を汲みに行く、というのはほぼ1日のチャーターになる。なかなか大変だろうな、というのが当初の予想。

ところが船着き場の近くの集落で聞き回っているとおもしろいことがわかった。興味を持ってくれたおじさんが、「おまえたちは観光に行くんじゃないんだよな、観光だと乗せられないぞ」という。トンレサップ湖は今のように船着き場が整備される前には、観光客相手の雑な商売が有り、詐欺まがいのぼったくりも問題になった。そのため政府が一律のチケットを作り(注2)ある程度の管理がはじまり、今の船着き場でチケットを購入する形に落ち着いたらしい。現状のものはおそらくここ数年の話だろう、あるいはもっと直近かもしれない。で、その過程で、自分で客引きをして観光客相手に仕事をすることがおそらく禁止されたのではなかろうか。ここは推測だが、その結果、勝手に観光客を交渉で乗せてはいけない、という事情になったのだろう。あるいはバレると通常の手配の仕事が回してもらえなくなるとか。我々は観光に湖に出るわけではないので、水上集落を回って小学校に上陸したいわけではありません、という説明をし(注3)何とか1日のチャーターに同意してもらった。ここまで、船を下りてからまる1時間ほど。こういったことは実際楽じゃないんです。たかが船を手配するだけじゃないか、とおもうでしょ?でもここに言葉の壁が2枚、お国柄、さらに国の中でも土地の事情、いろんなことが絡むんです。でももう、一仕事終えた気分。これで明日は湖に出れるぞ−!

乗せてくれると約束したおじさん、「ボントンレサップには黄色い水、青い水、白い水があるんだ」と言っていた。へえ,初めて聞いた。こういう仕事をしている人の言葉に従って調査をするのがいちばんだ、と、そのまま明日はその場所に向かってもらうことにする。そしてこの水の色の話は、翌日のサプライズにつながることになります。おや、あのあめ始まって以来の、次回に続く!

注1 道路が悪かった時代にはプノンペンからいろんな場所に出ていたスピードボート、ほとんど無くなってしまい、チケットも高額になり、残っているのはプノンペンーシェムリの便と、ベトナム行きの便だけです。船旅はたのしいのになあ・・・無くなる前に1度どうぞ。画像、ルーフトップで日焼けしながらの船旅も楽しいよ。
注2 現状の1人1時間15ドルも相当高いと思うが、この手の一律チケットは高くなってしまうんだねえ。プノンペンのポートでは人数関係なく1隻1時間15ドルのレンタル(ただし1人1ドルのポート使用料もかかるらしい)があります。
注3 水上集落の小学校や教会、お寺、浄水場は船着き場のそばでも見られます。私は1時間15ドルに乗ったことがないので、どんなところへいけるのかは知りません、が水上集落の小学校や集会所は定番ルートと聞いた。それから、トンレサップ湖にシェムリアップから遊覧にでるときは、雨季の一番水が多いときがおもしろいのじゃないかな、と思いました。お、観光に役立ちそうな情報。

踊るジャックフルーツ

早朝にホテルをチェックアウトし、昨日取りきらなかったサンプルを最後に採取してプノンペンへの帰路につく。今日は車に乗っているだけだー、と車で寝惚けていたが、ふと目を覚ましたら、車が止まっている。なんでだ・・・?休憩?見るとドライバーと同僚が道ばたの店でなにやら買い物交渉中だ。どうやらこのエリア(クラチエ州都から七号線への近道あたり)ではジャックフルーツが名産らしい。同僚たちは道ばたの直売店でジャックフルーツを買っている。

でっかいの2個、10000リエルくらいでかえるのか、それはプノンペンでは考えられないね。というかプノンペンで丸ごとサイズは買わないよね。ジャックフルーツってほんとでかいんです。重いんです。長さ50から60センチ、直径が20センチ以上もあるんです。これを4つ、車に積み込み、車ががたぼこいうとジャックフルーツもはねる。あのとげとげの皮は、中身の黄色い房をこういう衝撃から守るためにあったのか・・・←違う。プノンペンに帰ってきてからも、ジャックフルーツのにおいをそこら中で嗅ぐようになった。どうやら今が旬なんですね。

踊るジャックフルーツとともにクラチエとプノンペンの境にあるコンポンチャム州に到着。ここでご飯をたべ、コンポンチャムには乾季に登場する橋があるな、とメコンの絆橋(注1)下流にかかる竹橋に向かう。水位の下がる乾季にのみ出現し、雨季には解体されるという非常に手間のかかっている橋が画像の竹橋です。我々は歩いてわたってみることに。交通量が500リエルかかるらしい、が、どこで回収しているのかわからない。それに橋の感触はふわふわでおもしろいが、いかんせん暑い。この1kmを歩ききったら対岸の島で倒れるぞ・・・?と思い、同僚に引き返して良いかい、と聞く。教授が「でもどこでお金払うんでしょう」という。同僚が通行人を捕まえ「お金ってどこで払ってんの?ここで引き返したらどうすればいいの?」ときくと、「渡らなきゃいらないんだよ、むこうで払うんだよ」と言われる。・・・じつに適当なシステムだ。カンボジアらしいシステムだ。というわけでタダ見学してかえってきちゃった。ま、橋は通行のためのもので我々のように見学っていうのは用途でないから、普通は渡りきるんだよね。でもこんなおもしろい橋、入り口で観光客からお金をとればいいのに。地元の人が毎年がんばって作るんだから。遺跡の入り口ばかりが観光地の改札ではないとおもうなあ。

さて、無事クラチエからはプノンペンに戻りましたが、これは金曜日の夕方のこと。このあと調査旅行はまだまだ続く。週末は別の州へ向かうんだよ・・・。

注1 日本はいろんなとこで橋を架けたり道路作ったり下水どう掘ったりしてますがここも然り、コンポンチュナンの街の真ん中から、メコンの対岸に渡る橋はキズナ橋、というなまえで、日本の援助によるものです。
注2 竹橋は手間がかかっている橋ですが、近年コンクリート製の橋を架けるという噂もある。この仕組みがなくなったら残念だけど、手間を考えると橋を架けた方がいいのかなあ。難しいところです。1度橋を作って竹橋の建設のノウハウがなくなったら、もう竹橋がかかることはないもんね・・・。はじめは沈下橋なのかな?と思っていたのですが流れ橋にちかいらしいです。てゆうかこの橋の建設現場を見たいよ!そういうのをどうして映像に納めないのかなー?

メコンを上ったり下ったり。

クラチエの現地役人は英語があまり通じないので、プノンペンからの同僚にほぼすべて任せっきりの通訳。が、現地のディレクターがかなり話し好きな人らしく、我々の質問など一つにすごい量の返事が返ってくる。同僚が全部を通訳することをあきらめ、話の終わったところで、ただ、「えー、と、いうわけです」と言うので、「いや、それぜんぜん通訳になってないから!丸投げ!さぼりすぎ!」という爆笑を何度かする。この同僚、調査が終わり次第、早急にプノンペンに帰らなければならないのっぴきならない事情があり、初日の調査が終わったところで、出来れば2日目の調査を早めに終えそのままプノンペンに戻りたいと言っていた。ところが、ホテルに戻り夕飯の待ち合わせにでると一転、明日も丸1日調査をしよう、船に乗って次のポイントに行こう、と言う。何が起きたかと言えば、一時解散して1時間ほどの休憩の間に、プノンペンに電話で問い合わせた結果、彼が急いでプノンペンに戻る理由がとりあえず無くなったのだ。

現金な、と言えばそれまでだがこちらにはとても都合が良い。やる気も出してくれ、夕飯前のわずかな時間で2日目に行く場所の手配、いろいろをしてくれた。そして2日目は通訳も分量多い!あれですね、人は心に心配事がなくなると、目の前の仕事に全力を出せるというとても良い例。そんなわけで2日目はクラチエ州内を最北の区、サンボーディストリクトに上り、区長にお伺いを立ててメコン川の右岸に向かうことになった。

川岸で船を1日チャーターし、メコンをひたすらさかのぼる。船の時速は30km程度。途中の川辺の人の暮らしや水牛の水浴びを見ながら、船長の華麗なルート選択で道中も危なくない。乾季のメコンはかなり水位が下がり、河畔では野菜の栽培がこれから始まろうというところ。護岸に小さな畑を作り、トマトやナスが植えられていた。

目的地に到着、いや、正確には目的地への拠点となる川沿いの集落に到着。とりあえずメシを食え、と言われお弁当とバナナを食べ、ちびっ子がたべているかき氷(練乳イチゴ)がうらやましいけどここでたべるのはかなりチャレンジャーなので我慢・・・たべたいよう。かき氷うまそうだなあ。

さて、目的地はここからさらに山に向かって10キロ以上、とのこと。ここまで船で来た我々に交通手段はないので、バイクを3台かり今回はドライバーなしで調査グループ6人の2ケツ。昨日の3キロも結構大変だったけどね・・・?今日のおまわりさんはバイクも運転する大活躍(注1)。「わたし運転しようか?」と聞いたら全力で「No!」と断られた。そんな即時にみんな同じ反応しなくても。でもこの後の道はほんとうにダートと砂地、山登りだったので、2人乗りじゃ大変だっただろう。運転させろー!ていわなくて良かった。山奥での調査を終え、帰り道は
1台目、ドライバー、現地警察さん、
2台目、ドライバー、現地環境省役人、
3台目、ドライバー、環境省本省役人、
の三つどもえによるラリー。来た道を戻れば良いとわかっているのと、下り坂になったのとで、はねる飛ぶ飛ばす。競わなくていいのに!何でそんなに楽しそうなんだ!途中何度か、「こけたらどっちに向かって吹っ飛ぼうかな」を考えました。鉱山地帯でシルトのふかふかの砂があるのであんまり痛くなさそうだし、バイクにしがみつくと事故が大きくなるのでこけそうなときは自分で吹っ飛んだ方が良いです。ま、実際は2回ほど飛び降りただけですんだ。教授も何度か飛び降りてた。

元の川沿いの集落に戻り、出発地の船着き場に戻るべく今度はメコンを流下するのだが、途中の支流で水を取るよ、と川の中でスピードボートから小舟をさらにチャーター。船から船の乗り換えなどし、2日目の調査はのべ7台の乗り物を使って終了。スピードボートの船長、小さい女の子のお父さんで、帰ってきて陸に上がりすぐ、お母さんに渡されたちびっ子をあやしているのが印象的でした。この国の人はなんつうかとても子煩悩だ。親だけでなく周りにいるすべての人間が、ちいさい子どもをすこし大きくなった子どもでさえも全部がみんなでよく見る。さて明日は最終日、プノンペンに帰るぞー。

注1 今回の調査は現地警察が銃を持っての同行でしたが、警察の動向は危険回避の意味合いだけではありません。実際にそんな危険なことはないのになぜ必要か、と言えば、地方部のさらに地方には各省庁の役人より警察の目の方が行き届いていてネットワークもあるので、地元の人やいろいろなコネクション、警官同士のつながりなどでいろんな情報が入ってきやすかったり、聞きやすい、把握しやすい事情があるのです。もちろんみんなで隠されてしまったらそれまでですが、警察官の仕事の幅広さを感じた。生活支援員のようなことだろうか。
注2 画像はメコン、牛の水飲みと、たべたくてでも断念したかき氷。それからバイクで山奥に向かう教授。私もカメラを抱えていられたのはここまで、あとはダートのなかカメラ構える余裕なし。